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寒河江☆探訪 Vol.19

ようやく・・・で御座います。

最終日ということでスズケン先輩からも

越えられぬハードルを設定頂きましたが、

私などリンボーダンスで潜るのが難しいくらいの

ハードルでさえ越えるのやっとで御座いますので、

今まで通り期待せずご覧下さいませ。


さて、最後の面倒にお付き合い頂きましたところで本題へ、

最後も長い間お世話になった寒河江探訪で括りたいと思います。

本日のご紹介は、

『寒河江城跡』
120229_1549~01
ええ、現在はすっかり雪に埋もれてしまっております。

雪がない時はコチラ
1100812.jpg
所在地:山形県寒河江市丸内(寒河江小学校)

寒河江城は最上川と寒河江川に挟まれた河岸段丘上に位置する平城で、
鎌倉時代以来、寒河江荘の地頭職だった大江氏の本拠地として約400年の間、
本城としての役目を果してきました。

当初は本丸のみの比較的小さな城でしたが、
時代が流れるにつれ領土が広大するのと同時に城郭も拡張され、
8代目時氏には二の丸、三の丸を持ち、東西約400m、南北約550mの規模で
三重の掘りに囲われた堅固な平城が完成したそうです。

その後、領土も西村山郡の大部分を占める程に成長し、
石高は8万石を領するに至り、戦国末期になると
北上を続ける最上氏と雌雄を決する事になります。

天正十二年(1584年)に当主大江高基の弟勘十郎を大将として奮戦しましたが
遂に敗れ高基は御楯山上まで敗走しそこで自刃したと伝えれられております。

周辺は最上氏が支配しますが元和8年(1622)にお家騒動の為改易になると、
寒河江城は廃城となり城郭は破棄されてしまいました。

現在、本丸跡が寒河江小学校地となり、
平城だった事もあり遺構はほとんど見当たりませんが、
三の丸にあった辰巳門(東南方)は
澄江寺の山門(寒河江市指定有形文化財)としてに移築されていたり、
水堀の跡と思われる用水が走り、
それに囲まれた主郭跡が一段と高くなっておるなど
在りし日の名残は感じる事が出来るでしょう。

又、隣家には歴代寒河江城主が信仰していたという駒形堂が建立されています。



約一年間、頼りない屈折したブログとなりましたが、

たゆたえど沈まずなんとか更新を続ける事が出来ました。

閲覧して下さった皆様、助けて下さった諸先輩方、本当に有難う御座いました。
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